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メンバーの裁判

2012年5月14日 (月)

今日という豊かな生活

今朝(5月14日)の毎日新聞の風知草欄に「山田孝男という記者が「過剰と言う病」と題して書いている。山田は小食を勧める健康本が売れているている世相を指摘、経団連の研究機関が発表した2050年の経済予測リポートについて問題点を厳しく衝いている。この予測によれば、「このまま経済成長を怠れば、(日本は)一人当たり国内総生産(GDP)でやがて韓国に抜かれ、先進国から転落する」という。このリポートは序文で「いかに経済社会の活力を維持し、豊かな国民生活を実現していくかが問われている」と強調しているが、豊かな生活とはなにかを問い詰めてはいない。山田は言う。「意地悪く言えば、「激うま激安」「デカ盛り」の爆食で病気になっても、薬や医療の支出でGDPがふえるなら結構だという感覚である。小食や断食に対する関心の高まりが、飽食した一部の金持ちの気まぐれだとは思わない。これでもかとばかり消費を煽る現代資本主義への疑問。過剰は苦痛という自覚。そんな不安が人々を書店へ駆り立てる。{先進国」とは何か。「先進的」とはどんなことか。小食健康本ブームは根本の問い直しを迫っている」。
山田も今日という時代が「科学的に不確実なことがらについて決断を求められる時代であること」という認識に通じる問題意識をもっているひとのようだ。大量生産、大量消費という現代資本主義の行き着いた先がカジノ資本主義の無明世界であったという幻滅。小泉の新自由主義改革の行き着いた先が、派遣と派遣切りのささくれだった世界であったこととよく似ている。ではどうすればいいか?これが今日生きているわれわれの課題であるが、私にははっきり見えているビジョンは、まだ、ない。老人に特有の回顧癖的感傷的思いだけは、ある。小泉が登場する前の一時期「一億総中流」と思っていた時代が懐かしい。自殺もいまほど多くなかった気がする。世間の人々の安心感が違っていた。のんびり生きることが許され、血眼にならずとも生きてゆけた。今野田民主党政権がやろうとしている消費税増税もTPPも一億総中流的世界から遠ざかる方向に向かうものだ。誰かを血祭りにあげ、弱者を人身御供にする政策である。私は今こそ議論を盛んにしどんな社会に住みたいかみんなが意見を出し合う時代が来たことを確信している。

2012年5月13日 (日)

不確実なものと官僚的思考

三国通信をめぐって盛んな議論が始まっている。原発事故によって、安全神話が嘘だったとわかってからいろいろな“定説”が疑われるようになった。そのひとつが、炭酸ガスによる地球温暖化である。公然と反対する科学者は非常にすくないのは事実であろう。しかし温暖化論の科学的根拠となると、極めて曖昧なものであり、それを主導するのが先進国の科学者だということで、政治的陰謀説さえある。問題は、われわれはこうした科学的に確かとは言い切れない事柄について、否定なり肯定なり、決断を迫られていることだ。わからないからという理由で結論を先延ばしすることは許されない。今という時代を生きるのを非常に難しくしているのは、このように不確実なこと、科学的によくわからないことにも、何らかの決断が必要になっていることである。利根沼田の風土には”国の方針に従う”のを是とする傾向がある。水上町の岸町長が「国が”原発の使用済み燃料棒を永久保存する施設を作れ、というなら、受け入れる」と言ったのは,お上に従順な利根沼田人らしい「官僚崇拝」の典型である。いわば「官僚無謬説」と言い換えてもいい。岸町長は東大出の官僚だったから、官僚の権力がいかに強いものか身に沁みて知っている。だから、自分で判断することができない不確実な問題にぶつかると、官僚に判断を委ねてしまう。
しかし、3・11の大震災は官僚は無謬でなく間違いをするし、無責任ですらあることを白日の下に晒してしまった。多くの人々が、こういう難しい問題は人任せではだめだ、東大を出た秀才でもわからないことはたくさんあり、そんな秀才に任せるのではなく、われわれ自身が自分で考えて判断をしなければいけない、とはっきり悟った。原発を止めるか続けるか、われわれは自ら選択しなければならない。温暖化も地球は温暖化しているのか、それとも逆に寒冷化に向かっているのか、最近の異常気象はどういう意味を持つのか、自分で勉強し、判断するのである。理科に弱いとか勉強が嫌いなどと言って逃げていれば、そのつけは恐ろしい形でわが身とわが家族の上に降りかかって来る。放射能の影響はどこまで許容すべきか、あるいは許容してはならないか、自分で決めなければ駄目な時代なのだ。
この時理科の知識も大事だが、人間はどう生きるべきか、つまり人間社会はどういう形が最ものぞましいかを考える感性と知性も大事である。感性を持つ眼差しで今の世の中を見れば、必要でないものが溢れ、栄養過剰で成人病にかかって苦しむ人々の姿が見えて来はしないか?
生き方を含めてもう一度社会のありかたを一緒に考えてみようではないか?(峯崎淳)

2012年5月 2日 (水)

三国通信 2

 サッカー場整備事業のH24年度事業費の内訳は、総額2億1千600万円で、うち「toto地域スポーツ施設整備助成事業」の助成を1億2千800万円当て込んでいた。総事業費の約3分の2をサッカーくじに求めたものだった。「町負担額には過疎対策事業債の充当が可能」と説明し、あたかも町民の負担がないかのような補足までつけている。

 筆者は小学生の頃からサッカーを始め、現在も現役選手として日本サッカー協会に登録している。みなかみ町にまともなサッカー場が欲しい気持ちは人後に落ちないつもりだが、ごみの上でプレーしたくないし子供にもさせたくなかった。
 2月9日、よく晴れた日だった。小さい車に5人ぎゅうぎゅう詰めになり、助成金の支給団体である「独立行政法人日本スポーツ振興センター」のある国立競技場に向かった。そこでは、スポーツ振興事業部のK係長とS氏が丁寧に出迎えてくれた。我々はこの計画がいかに地元の同意がないか、観光振興にもつながらないかなど資料を基に説明した。担当者は時折質問を挟みながら40分ほど真摯に対応してれ、助成決定権のある審査委員会に今回の要望を資料として添付することを約束してくれた。
 その結果、4月13日に発表された「平成24年度スポーツ振興事業に対する助成金交付決定額(団体別)」にみなかみ町は掲載されなかった。
 以下要望書全文(原本には受領印あり)を掲載する。(河合純男)

要望書
 西暦2012年2月9日
独立行政法人日本スポーツ振興センター
理事長 河野 一郎 様

 群馬県利根郡みなかみ町が「toto地域スポーツ施設スポーツ施設整備助成事業」を活用してサッカー場を整備する計画は、以下に述べる重大な問題を内包しています。このような計画に助成金の交付決定をなされないようお願いいたします。
 ①    当事業が計画されている土地は廃棄物処分場であり、安全性が担保されていません。環境アセスは行われていません。
 ②    当計画は地元東峰をはじめ隣接の布施・西峰須川・須川・湯宿温泉等の住民に一切説明がなされていません。住民の合意がありません添付資料
1、    みなかみ町議会議長 久保秀雄様宛て 請願書写し 2月6日提出済み
2、    みなかみ町長 岸 良昌様宛て 請願書写し    2月6日提出済み
3、    廃棄物処理場にサッカー場を造る計画(サッカー場整備事業)を白紙に戻すことを求める署名229筆 写し
4、    処分場周辺集落地図 写し
5、    新聞記事写し 3枚
6、    新治村長・議会(合併前の自治体名)名で配布された「一般廃棄物最終処分場の問題についてのお願い」 写し
7、    会議録(署名入り)
8、    代表者の身分証明書 写し
9、   
 代表者 河合 純男  
 岡田 洋一        
 高橋 扶吉        
 島崎 栄一        
 大坪 進      

2012年4月20日 (金)

第2回利根沼田の議員との連続対話会

任せる政治から引き受ける政治のために

2012年04月24日19時30分~21:00分 新治支所3F研修室
19:30 代表挨拶および経過説明  高橋議員報告 島崎議員報告 
20:00 質疑応答、対話会
20:45 対話会の今後の活動について(呼びかけ人以外も参加自由です)
21:00 閉会
テーマ 「 toto補助金不交付決定後の動き」「放射能問題の行政対応」
    「みなかみ町の政策はどのように決定されるのか?」

対話会呼びかけ人
河合純男/第2回対話会代表・みなかみ町布施742-1 携帯09045245506
E-mail  ie@koubou-muu.com
高橋扶吉・深山忠明(以上旧新治)・田村貞重・高橋和男(旧月夜野)・青木邦夫(昭和村)、呼びかけ人(特にみなかみ町以外)募集

河合推薦メディア インターネット報道「www.videonews.com」(月額500円)
週刊誌「週刊金曜日」(年間23000円)日刊紙:「東京新聞」(月額2550円) 
ブログ:市民の目!沼田(みなかみの情報も掲載予定です)

三国通信 1

 河合生博・山田庄一・阿部賢一・林一彦・林喜美雄(以上旧新治地区)・小林洋・前田善成・鈴木勲・内海敏久・中村正・森下直・中島信義・河合幸雄の13議員がゴミ捨て場の上にサッカー場を建設することに賛成した。反対は原澤良輝・小野章一・島崎栄一・高橋市郎の4議員。久保秀雄は議長なので賛否には加わらない。2012年3月16日みなかみ町議会で以下の請願が否決された瞬間である。

1 請願の要旨
(1) 民間廃棄物処理場、あるいは跡地利用については法的にも未整備であり慎重を期すべきであります。
(2) 地元および近隣住民に説明のないまま計画を進行させるのは行政手続き上問題があります。

2 請願事項
(1) みなかみ町東峰の一般廃棄物処理場に計画しているサッカー場整備事業を白紙に戻すことを求めます。
(2) 住民参加であらたな適地にサッカー場をつくることを求めます。
 この、当たり前すぎる請願が否決(サッカー場建設が可決)された。
二十余年前、「にいはる三国通信」が新治村(みなかみ町の合併前の自治体名)の良心の叫びとして新聞折り込みで全戸配布されていた。時あたかもリゾート法によるゴルフ場・スキー場開発に日本中が浮足立っていたころだ。全国的に名高い秘湯「法師温泉」の手つかずの自然が残る裏山に、鈴木和雄村長と堤義明率いる国土計画がスキー場開発を目論んだ。
 住民の何度にもわたる現地調査・水質検査などの粘り強くしかも正当な反対運動は、ある事件をきっかけに燎原の火のごとく全国から注目されることとなった。
 躍動感あふれる紙面でその時代のスキー場反対運動を伝えたのが「にいはる三国通信」だった。時を超えて今再び良心の叫びを伝えるため偉大なる先人に習い、「市民の目!沼田」に「三国通信」を連載する。
 今後も敬称を略することがあることを前もってお詫びします。 (河合純男)

2012年4月17日 (火)

沼田とエネルギー問題

汚染地沼田にヒステリーが蔓延している。汚染の被害が沼田の椎茸栽培を壊滅させてしまった。栽培する人がいなくなっただけではない、森林にはいってそだ木を作る仕事も消えてしまった。一キロあたらい100ベクレル以下という厳しい規制が施行され、椎茸を沼田で栽培しても商品にならない。規制が厳しくなったことで消費者は安全になった、と考えるのは早計である。地元産の椎茸が食べられなくなった、という不都合のマイナスを思うべきである。100ベクレルという線引きが放射線の被害を防ぐという根拠は薄い。日本産の米に含まれているヒ素の毒性はセシウムに換算すれば何百ベクレルになるかわからないほど強い。そんな発癌性のあるヒ素を含んだ米を毎日食べながら、椎茸の100ベクレルに恐れをなす矛盾は滑稽である。さらに、大飯原発の再稼働に政府はしゃにむに舵を切ろうとしているようだが、それには理由がある。政府は再稼働をためらっているうちに手遅れになり大停電が防げない事態を招くのを心底から怖れている。もし真夏に大停電が起きれば千人を超える死人が出ることを知っているはずだからだ。大阪の橋本市長は電力は十分足りている、と言っているが、その根拠はあるのか?工学的に説明できるのか?電力事情に関するかぎり橋本の発言は無責任な放言である。日本人の電力の使い方がでたらめで自販機やパチンコ屋が煌々と電気を付けている、と非難したのは東京都の石原知事だが、生命に関わる重大なことに使っていない電力は無駄遣いである、と決めつけるのはわれわれが自由主義経済の資本主義社会であるのを忘れている。競争原理に基づくこの国ではパチンコは依存症が問題になるほど多くの遊戯人口を持つ産業である。電気を煌々と付けて派手に客集めをしなければ店はつぶれてしまう。裸電球が一つ点っているだけの暗い店に入る人はいない。電力とは需要見込みが100とすれば150位の供給余力を持たないと心配な業種らしい。大停電を起こしたらそのマイナスは取り返しがつかないほど大きい。
だからと言って、電力を原発に依存するのは危険である。原発事故は国家の存続を危うくする。だから脱原発に向けて戦略を練り、なるべく早く(と言っても100年はかかるらしい)原子炉と使用済み燃料棒を安全に保管する方途をさがさねばならない。原発は稼働を止めても津波や地震による破壊による事故の危険は稼働中と少しも変わらない。燃料棒の安全保管は脱原発の前提条件である。世間には脱原発と宣言すれば原発事故の危険が無くなるように考えている人が少なくない。動いていても止めても燃料棒がそこにある限り危険に変わりはない。脱原発を宣言したドイツも向こう30年間は原発を運転し続ける予定のようだ。
脱原発はよほどしっかりした戦略を立て実行する政治家がいないと成功しない。今の民主党の鼻先思案ぶりをみているとこの党にそんな大変な大事業が実行できるようには思えない。
電力問題は、今年の夏足りなくなりそうなのでとりあえず大飯を再稼働さしちゃえ、という軽率さでは必ず事故が起きる。大きな事故が起きれば関西は全滅しかねない。われわれは今手にしている選択肢が何と何があるか、それぞれの得失を冷静に判断するため、沼田でも盛んな議論を起こすべきである。(峯崎淳)

2012年4月 4日 (水)

先祖代々の故郷が放射能で汚染されたということ

芭蕉の俳句に「生き代わり死に代わりして打つ田かな」という名句がある。田というものをつくるには世代を重ねなければならない。世代を重ねた田だけが本当の田であり、できたばかりの田は「新田」と呼ばれて区別された。田が放射能に汚染されて耕作不適地どころか居住不適地となったことの意味は先祖代々の努力がほぼ未来永劫に失われたということである。セシウムは30年で半減期を迎えるのだから未来永劫は大袈裟でないか、と反論が出るかもしれない。除染という手段もある。除染すれば居住や耕作が可能になるのだから、永その土地が久に失われると言うのは悲観に過ぎよう。理屈の上では確かにそうだが、現に高濃度放射能に汚染された田や畑を除染するとして、誰が、いつどうやってするのか?除染した廃土をどこにどのように保管するのか?除染の費用は誰が出すのか?汚染された土地が安全になるまでそこに住んでいた農業者は何をして生きていけばいいのか? 除染が済むまで耕作地や居住地や住宅の売買はできるのか?その価格は市場原理に任せていいのか?
農家にとって水田は生産の場であり生活の環境であり、財産であり、人として生きて行くことを可能にする条件であった。それが一挙に崩れ去ったのである。
東電が原発と引き換えに支出した補助金が関係市町村をどんなに潤したにせよその代償は余りにも大きい。この取引は言わば人々の命と引き換えたに匹敵するめちゃくちゃな取引だった。原発には恐ろしい欠陥があった。この欠陥は原発を理解していた人々はあることを知っていたが、彼らはなぜか安全神話という作り話を広め、危険はないと人々に信じさせた。
原発につかわれる燃料棒は使いきった後、少なくとも万年を超える期間安全に保管し続ける必要がある。しかも初めの百年間は電気で冷やし続けないともっと大きな事故を起こす危険がある。その事故が起きれば福島県どころか東京を含む関東全域が居住不可能な汚染地域になる恐れが否定できない。
3・11後の今考えると、なぜこんな恐ろしいものを作ってしまったのか理解しがたい。原発は即刻全廃を決議すべきである。一部運転を続けながら40年後に廃炉すべきであると説く人がいるが、現実を無視した暴論である。どんなに金がかかろうとも全廃以外にわれわれが十年後に生きていることを期待できる道はない、と覚悟すべきである。今度事故が起きたらおそらく日本はお終いになる。つまり滅亡である。原発というおもちゃは滅亡を賭けた遊びだった。(峯崎淳)

2012年4月 2日 (月)

新しい書き手の紹介

河合純男(かわいすみお)さんをご紹介する。市民の目沼田は利根沼田地域で生活する有志が自由な意見の発表の場として数年前に発足した。利根沼田地域に特徴的に蔓延しているエートス(気風)は「もの言えば唇寒し秋の風」であって、発言を嫌う風土である。市民の目沼田の書き手はそうした風土に正面から挑む言論の志士によって概ね非匿名で行われてきた。匿名による参加を排除するわけではないが、実名あるいは筆名で発言する「勇気ある」発言者が自然に増えてきたというのが現状である。今度新治の建築家で株式会社無有(むう)の代表取締役でもある河合純男さんが「利根川源流からエネルギー革命を!」という趣旨の下に新しく株式会社「流域自然エネルギー」を設立されたのを機会にかねてからの志を言論においても積極的に開陳される決意をされた。利根沼田の風土では実名による言論は、その目指すものが市民社会の成熟という、本ブログの趣旨に沿ったものである以上、既成の支配ボス勢力と真正面から激突することは避けられない。笑止なことに、これまでも筆者(峯崎淳)や杉山弘一らは「過激派}として沼田のアンタッチャブルの扱いを受けて来た。河合さんも言論活動が客を増やすことにはならないことを十分覚悟の上である、とおっしゃっている。3・11以来世の中は変わった、いや変わらねばならなくなった、その認識に基づき実名で主張することはもはや当然である、と河合さんは言う。批判しなければならない既成の隠然たる勢力が跋扈し例によって策略を弄しておのれの利得を謀っているからだ。その手始めが産廃処理場の上にサッカー場を作る計画であるという。
私はこの計画がいかなる内容かはつまびらかにしない。いかなる黒幕が糸を引いているかも知らない。しかし利根沼田でかような計画が行われる場合、裏が何もないことはほぼあり得ない。必ず権力と結託し、不都合な事実に目をそむけさせる陰謀があると想定する。すべてをテーブルの上に出し、公明盛大に議論することが必要である。河合純男さんの話をまず聞こう。(峯崎淳)

2012年3月29日 (木)

現存被曝状況でどう生きるか

 利根沼田地域は、残念ながら、福島第1原発事故により、放射性セシウムに汚染されてしまいました。この汚染はすぐには無くなりません。10年以上の単位で続くでしょう。
 その利根沼田でこれからどうやって生きていくか?
 健康への影響が無いもしくは少ないとしても、風評被害はあります。その中でどうやって社会経済への影響を最小限にしていくか?
 それを考え実行するヒントがここにあると思います。是非読んでいただきたいと思います。(杉山弘一)
ICRP11から考えた事 福島で「現存被曝状況」を生きる

2012年3月27日 (火)

安心・安全宣言、どこまで安心か。

 毎日新聞群馬版(3月24日付け)に、食品の放射性物質の暫定基準値が4月1日から厳しくなる(100Bq/kg)ことを受けて、県が県内全域の野生鳥獣4種類・77検体を検査したところ、4割超の36検体から新基準値を超える放射性セシウムが検出されたことを23日発表、飲食店などに提供自粛を要請した、とある。
 記事によれば、県は16市町村のイノシシ25検体から1キロ当たり368~109ベクレル、8市町村のニホンジカ11検体から同308~106ベクレルを検出したそうだ。そして、その16市町村にも8市町村にも片品は含まれている。つまり、片品では当面、イノシシやニホンジカは食べない方がいい、ということだ。
 私の手元に、昨年10月16、17日に東小川方面で、17日に尾瀬方面で有害鳥獣の駆除が行われ、それぞれの地区で捕獲された6頭ずつのニホンジカの肉を、猟友会が自主的に専門機関に依頼して放射性物質の検査をした結果のデータがある。それによれば、全頭からヨウ素は検出されなかったものの、東小川方面の6検体から1キロ当たり44~270ベクレル、尾瀬方面の6検体から同93.5~214ベクレルのセシウムが検出されている。猟友会を管轄するのは農林建設課であり、有害鳥獣駆除要員として役場職員もいるから、このデータは役場も把握している。しかし、役場はこれを一切公表していない。
 片品村役場はあの大震災以降、住民の生活圏14個所の空間放射線量のデータだけを公開し、安心・安全宣言を繰り返してきた。スキーシーズンを前にした時点でも、スキー場の線量測定は各スキー場任せだった。北毛の線量が高いことがメディアに取り上げられ、国が費用を負担して除染をするからと言っても、片品は安心・安全だと言って申請さえしなかった。
 前出の昨年10月に行われた有害鳥獣駆除で捕獲された12頭のニホンジカの検査結果も、3月末までの暫定基準(500Bq/kg)以内だから良しとして公表を控えたのだろう。食品の放射性物質の暫定基準が3月いっぱいは1キロ当たり500ベクレル、4月1日以降は同100ベクレルといっても、それは安心・安全の基準ではなく、とりあえずここまでは我慢しましょう、というあくまで我慢基準なのだ。
 吾妻では有害鳥獣駆除で捕獲されたイノシシを専門の施設で食肉加工し、「アガシシ」というネーミングで商品化し、レトルトカレーに加工して販売したり、旅館や飲食店で調理して観光客に提供したりもしている。いつどこで捕獲されたものなのかのトレーサビリティーも把握し、あの原発事故以降に捕れたものはすべて廃棄処分しているという。
 しかし、片品村には野生鳥獣を食用として供することについて、吾妻のような公的な施策はまったくない。猟友会が捕獲したものが知り合いの民宿や旅館に渡り、野趣溢れる珍しい料理として都会から来た客に供される。昨年10月のデータが出て以降は、さすがに猟友会から民宿、旅館に渡ることはなくなったと思うが、以降のある宿のブログにニホンジカの肉をスモークしている記事を見た。ただし、そのニホンジカがいつ捕れたものかについては触れていない。
 風評は、いつ、何をきっかけに起きるか分からない。それが具体的被害につながった場合、打ち消すのは容易ではない。観光と農業が産業の大きな柱である片品村にとって、風評被害を避け、観光客や消費者の安心につなげるには、すべての情報を公開することである。せっかく200万円で食品の放射性物質の線量計を購入したのだから、仮に「素人の計測がどこまで信用できるか」との批判があったにせよ、村がすべての情報を公開し、真正面からきちんと取り組む"姿勢"を内外に示すことが、観光客、消費者の安心につながる方法だと思う。
 26日付けの朝日新聞の社説でも4月から適用される新しい基準に触れ、その最後に「厚労省は、こうした調査結果を公開して、消費者の理解を求める必要がある。ていねいな情報提供もふくめて総合的に取り組んでこそ安心につながる」とある。これが世の中の常識である。いつ、何をきっかけに起きるか分からない風評を怖れ、寝た子は起こすな、とばかりにひたすら情報を隠し、じっと嵐が過ぎるのを待つ片品村の頭脳と常識は世の中には通じない。安心にもつながらない。(木暮溢世)

2012年3月23日 (金)

放射能被害を最小に食い止める方法

ICRP111という文書を東大病院放射線治療チーム、(チーム中川)が解説しているものを読んだ。決して起こらないはずだった原発事故が起こった、という現実を正面から受け止め、被害を最小限度に抑え込む現実的方法を模索したのが、この文書である。ここに書かれていることを実行できれば、確かに地域の被害も個人的被害も最低にできるだろう。問題は、沼田が市民社会として十分に成熟していないことだ。市民社会の成熟がこの文書を有効ならしめる条件と思われる。いわゆる反体制派を標榜する人は、事故の被害を減らすのは、東電や政府の反社会的性格を曖昧にし体制の存続に手を貸す行為だと非難するかもしれない。しかし現実に放射能被害を最小にする活動を体制に媚びるとして排除する論理は、狂信的な政治主義であり、市民社会に馴染まない。
沼田市民の目は、発足以来市民社会の成熟をブログの目的としてきた。放射能被害という予見せぬ現実に直面し、本ブログの方針が正しかったことがいよいよ明らかになりつつある。沼田を旧態依然の前近代的狎れ合い社会にしておき、民主的改革に消極的な市長とその取り巻き連中には、この危機を乗り切ることは困難であろう。星野巳喜雄市長は、今沼田に必要な連帯の方向が、岩手や宮城の瓦礫を引き受けることという人の道に叶う方向にしかあり得ないことが理解できていない。  

2012年3月21日 (水)

肥田舜太郎氏の説を信用してはいけない

 またまた、敵を増やすことになりそうですが、言わないわけにはいきません。
 3月24日、利根沼田9条の会7周年の集いで、「放射線被害の実態に迫る」と題する肥田舜太郎医師の講演会があるそうです。肥田医師は自ら広島で被曝医師としてのべ6000人を超える被爆者の診察を続け、その経験を下に元原発運動に関わってきた尊敬に値する方です。しかし、臨床と放射線の健康影響の学問的研究は別物です。
 御年今年95歳、氏の主張する原発ぷらぷら病は専門医の間では、臨床的にもまったく認められていない代物です。また、鼻血や下痢は低線量の内部被曝のせいだと言っている時点で医学的には信頼に値しません。残念ながらデタラメと言い切れます。専門家の書いた本を読めばすぐ解ります。肥田さんの論文リストをみても専門的なものは見当たりません。60年の間に放射線医学は大きく進歩したのです。
 野呂美加さんのように不安商法をしているわけではないので、心底善意で活動されているのだと思いますが、その分信じてしまう人も多く、問題はかえって大きいかも知れません。野呂美加さんも肥田さんの言説を引き合いに出して、おかしな商品を勧めています。
 9条の会のように民主的な活動をしている方たちが肥田さんの説を信じやすいことも問題を複雑にしています。
しかし、考えてみて下さい。肥田さんご自身も広島で被曝されているのです。そして、95歳になろうとしているのにお元気に講演活動を続けられています。肥田さんの健康がご自身の内部被曝脅威論が間違いであることの証拠としか思えません。
 同じ日に、沼田市主催で、日本原子力開発機構の小林泰彦さんの講演があります。小林さんは原子力開発機構で放射線と生物の研究をされている方で、群大の重粒子線治療センターの客員教授も兼任されています。原子力発電とは無縁で、放射線の人体への影響について最前線の仕事をされていて、講演の内容は信頼できるものです。
 利根沼田9条の会の関係者には申し訳ありませんが、肥田さんの古く誤った説を聞くよりもはるかにお勧めです。
 これまでさんざん行政に楯突いてきた私が、9条の会の講師を否定して、沼田市の選んだ講師を持ち上げなくてはならないのはつらいものがありますが本当のことなので仕方ありません。(杉山弘一)

2012年3月19日 (月)

野呂美加氏を信じちゃいけない

 驚きました。呆れました。がっかりしました。
 あの知る人ぞ知るエセ放射能対策で有名な野呂美加氏が沼田に来て、放射能と環境について講演をするそうです。詳細はここ。主催はEMネット群馬NPO法人利根沼田ボランティアセンターが協力だそうです。こんなデタラメだらけの方を呼んで放射線対策をしようなんて狂ってしまったとしか言いようがありません。こんなの信じれば沼田の風評被害は広がり、子供たちの健康は間違いなく脅かされます。病気になります。利根沼田を破滅に追い込む行為で、やってはいけないことです。
 いつか、関係者は取り返しのつかない愚行をやったことを悔やむことになるでしょう。その時では手遅れです。
 あまりにもがっくり来ているので、具体的な批判をすれば止まらなくなりそうです。
 大阪大学の菊池教授がブログで「野呂美加さんと放射能対策」という記事を書かれていますのでそちらをご覧下さい。(杉山弘一)

瓦礫処理に名乗りを挙げた中之条、東吾妻、高山

 中之条の折田謙一郎町長は「困っている町村のお手伝いをするのは人の道だと思う」と言った。岩手県山田町船越の瓦礫置き場の瓦礫400万トン(2050万トン中)を引き受ける計画という。
 沼田にも受け入れの打診があったそうだが、星野巳喜雄市長は処分場に余裕がないということを口実に早々と断ったと聞く。被災民受け入れ問題が出たとき、沼田の消極姿勢は特に目立った。隣の片品村の千明金造町長が5000人受け入れを決断し迎えのバス率いていち早く南相馬市に被災者のお迎えに行ったときは、男をあげたものだった。星野巳喜雄市長は、その頃、姿をくらまし、側近の布施辰次郎市議も行方がつかめず、みすみす沼田を全国にPRする機会を逃した。このときは、玉原のペンションの有志の方々が300人受け入れを市に申し出ていたのが、市長の行方不明でフイになった。市長は段ボール製の鎧を着て新宿の往来を歩いて人々の嘲笑を誘ったおっちょこちょいだが、東北大震災の社会的意味はわからず、側近にそれを解説できる見識を備えた人も見当たらず、周章狼狽、逃げ回るだけの醜態をさらした。
こんなバカ市長はさっさと辞めてもらいたい。本人も「辞めたい、辞めたい」と言っているらしいから、遠慮は要らない、明日にでも辞めてもらいたい。
 
 沼田は群馬県の1ダースほどある市のなかでも、尻から数えた方が早い貧乏市である。情けないのは貧乏なことではない。貧すれば鈍するで、人の道が分らなくなってしまうのが問題だ。岩手県の瓦礫処理を手伝うのは貧乏籤を引き当てることだとする了見の狭さに気づかぬことが恥ずかしい。かつて北毛の雄都と呼ばれた沼田がここまで堕ちたか、と憐れまれるのが口惜しい。人間は誇りを失ってはお終いだ。なにかあれば逃げ回るだけの卑怯者の市長はもうたくさんだ。(峯崎淳)

2012年3月15日 (木)

おととしに開かれたある会議で

一昨年の暮れも近い頃、沼田市の市民文化会館である会議が行われた。集まったのは星野巳喜雄市長の支持者(後援会)の面々。議題は前もって知らされていなかったが、星野巳喜雄が市長を辞め、県議に鞍替えする、ということの是非だった。前回無投票で当選した現役市長が辞めて県議に選に立候補しようというのである。巳喜雄の言い草は「俺はなりたくて市長になったわけではない。嫌がるおれは無理やり担ぎ出されて断り切れずなったのだ。俺は県議に戻りたい」。支持者たちは、動揺した。市会議員の佐善太は、辞めたいと言うのなら止むをえない、と早々と受け入れを表明した。しかし、任期途中で県議に立候補するため辞めるというのは、大義名分がない、任期を務め、しかる後に辞めるのが筋というものだ、と反対したのは星野稔市会議員。
 会議の結論は出なかった。巳喜雄が市長を辞めたがっていることだけが明らかになっただけで、曖昧なまま問題は先送りされた。
 しかし、会議の副次的結果はあった。巳喜雄の秘書として十年以上働いた星野稔が巳喜雄に心得違いを直言した結果、追放されたのである。
 佐善太や巳喜雄は市長という公職を私物化し平気である。巳喜雄の後援会は、私物化して恥じる景色のない佐善太と巳喜雄に、心得違いを解く稔の見識を正しく評価することすらできないたわけぞろいだ。巳喜雄は権力の亡者である。なりふり構わず役職にしがみつく。巳喜雄は、一説に佐善太に市長を譲ることを裡内で約束していたという。市長は沼田市の代表である。佐善太ごとき無定見、無見識の手合いをのさばらせてはならない。巳喜雄のような無責任の権化にポストの盥回しを許してはならない。(峯崎淳)

2012年3月11日 (日)

「日本一優しい村」なのだから。

 日本青年会議所が2月下旬から3月上旬にかけて、焼却施設や最終処分場を持つ998市町村の首長に対して行った岩手、宮城の災害がれき受け入れ意志についてのアンケート結果が朝日新聞(3月8日付け)に載った。それによると、7日現在で590人から回答があり、116人(回答全体の20パーセント)の首長が要請があれば「受け入れてもよい」と答え、160人(27パーセント)が「受け入れたくない」としたそうだ。残る314人は検討中や未回答。
 では、片品村ではどうなのか。日本の政治家、戸丸広安村議会議員のブログ(2月25日付け)によれば、前日(24日)に開かれた議会との全員協議会でこの問題が議題に上り、東日本大震災が起きて早々に南相馬市からの被災者1000人を受け入れると発表し、その決断力と太っ腹を世に知らしめた千明金造村長は、村としては当面、岩手、宮城の災害がれきの受け入れはしない、と言ったそうだ。理由は、片品村は「首都圏の水がめ」であるためだという。
 首都圏の水がめという言い方で言えば、確かに利根川上流の北毛全域が首都圏の水がめと言えるが、では中之条町の新町長が就任早々に中之条町、東吾妻町、高山村との連合で受け入れる、と発表したことをどう位置付ければいいのか。
 09年8月に「沼田利根環境オンブズマンの会」なる架空と思われる組織が出した怪文書に端を発した千明金造片品村村長の産業廃棄物不法投棄疑惑を思い出す。「姑息な真似はしない。」、「千明金造は、即刻、辞職せよ!」、「千明金造は、村長選出馬を辞退せよ!」に書いたから、知らなかった人は読んで3年前に発覚した、村長による長年にわたる産廃不法投棄疑惑の事実を知って欲しいし、直後の9月定例議会で村長が曝した醜態を思い出して欲しい。同年12月定例議会で、萩原日郎元議員がその産業廃棄物の分析結果のデータまで示して追求した疑惑に、村長は許容量の5.67倍にあたる1.7mg/lの鉛またはその化合物を"この程度"は"問題ない"と答え、太っ腹?なところを見せている。
 そこで、一住民である私からの提案だ。岩手、宮城の災害がれきを他の都道府県の自治体が受け入れるときには、放射線量を測定し、"この程度"は"問題ない"と判断したものを受け入れるわけだし、焼却前にも線量を測定し、焼却灰も測定するわけだから、"この程度"は"問題ない"だけの量を片品でも受け入れてはどうか。焼却灰を片品川に捨てるわけではないのだから、首都圏の水がめだから、という気遣いは要らないと思うが、どうだろう。焼却灰を地中に埋め、その浸透による水への影響を心配するのなら、1.7mg/lの鉛またはその化合物だって心配じゃないのか。それとも、10トントラック3台分の"この程度"は"問題ない"のか。
 ちなみに、戸丸広安議員はがれき受け入れについての彼の考えは一切ブログに書いていない。実質人口が5000人をきった僻地の片品村に置いておくのはもったいないくらいの"日本の政治家"なのだから、ぜひ、先生の貴重なご意見をお聞きしたいところだが。(木暮溢世)

2012年3月 8日 (木)

山賊村には、ハイエナもいた。

 先日、村づくり観光課若者雇用創出室が、移住してきた若い女性数人から意見を聞いたらしい。要するに、外から若い人に来てもらって、その定住促進を謀る村がすでに移住してきた若者をモニターにして意見を聞こう、というわけだ。外から移住してきた各年代層の人たちを大勢知ってはいるが、村がその人たちの意見を聞こうとしたという話などついぞ耳にしたことがないから、とりあえず意見を聞く姿勢を見せたこと自体、一応"表向き"には評価しよう。
 5年前、村は(正確には前々教育長の須藤澄夫)は長期滞在、半定住を謳って尾瀬オゾンシアターなるものを立ち上げ、彼個人の趣味のために演劇を主宰した。長期滞在、半定住は補助金の支給を受けるための大義名分であり、そのターゲットは定年退職を迎える団塊の世代だった。(参照「住民の目!片品」、「決して非を認めない片品村」)
 仮に3000万の退職金を手に定年退職した夫婦が、定住にしろ半定住にしろ1000万を手当てして片品に住居を確保し、年200万で生活すると仮定しても、残り2000万は10年で底を突く。先の見えないこの時代にそんな人がいる、と単純に決めてかかる役場の想像力の欠除。しかも、そのとき夫婦は70歳になっており、医療や介護に金がかかる年代になるわけだが、村の負担が増えるだけ、ということに考えが及ばない役場の知性の欠除。企画自体に幾多の疑問を感じた私は、団塊の世代を狙ったこの企画について「狙いは団塊の世代の財布の中身だろ」と問いつめると、役場はそれを否定しなかった。ここ片品は、山賊村か。
 団塊の世代にあてが外れた村が次に狙いを定めたのが若い世代、というわけだ。そのために空き家バンクシステムを創設し、空き家の有効活用を図るのはいい。実際、現時点で2件の売却物件と1件の賃貸物件が登録されている。しかも、賃貸物件については、3年間を限度に家賃の3分の1(上限1万円)を補助するという。しかし、生活保護世帯等はその交付対象外というから、弱者救済のシステムではなく、村は本気で村外からの若者の移住を促進して、あわよくば地域の活性化につなげたいのだろう。
 一方、村には働く場がないから、と手をこまぬいて学校を卒業した子どもたちを外に送り出す現実がある。高校1年生の子どもを持つあるお母さんが「あの子と暮らすのもあと2年と覚悟している」と言うのを実際に聞いた。この切ない現実に照らして、村がパートタイム程度の職と空き家バンクシステムを用意して村外からの若者の移住を促進する裏に透けて見えてくるのは村のエゴである。要するに、移住してきた働き盛りの若者が、高齢化と後継者不足で空いた休耕田畑を借りて就農し、自然農だ、無農薬だ、有機栽培だ、などと難しいことを言わず、当たり前に機械や農薬を使い、収量を増やして収益を上げ、1円でも多く村に税金を収めてくれれば、まさに村が狙うところだろう。そして、移住してきた若者たちがこの村で所帯を持ち、子どもをもうけてくれれば、それこそ願ってもないおまけ、というわけだ。しかも、その働き盛りの若者の移住の結果が吉と出ようが凶と出ようが、それは自己責任であり、所詮は他所の子のことなのだ。
 私が、ずぶずぶの土地に水平垂直の家は建たない、と前々から言っているように、まず村が考えるべきは片品の子どもたちの将来から少しでも不安を取り除くことである。高校1年生の子どものお母さんから、あと2年しか一緒に暮らせない、という切ない思いを払拭してあげることである。私は片品の子どもたちが外へ出ることに必ずしも反対はしないし、むしろ、外の世界を見、知り、経験することは片品の既成概念を取り払い、片品の枠にとらわれない全国区の視点を持つ上で大事なことだと思っている。しかし、それは村には働く場がないから、仕方なく外へ出ることとはまったく次元が違うことなのだ。
 片品の子どもたちの将来を見捨てておきながら、むらづくり観光課若者雇用創出室とは、要するに、ハイエナ事業部というわけか。どうなのよ、木下さん。それがあなたが言う「前を向きましょう」ということなのか。(木暮溢世)      

2012年2月23日 (木)

みんな違う(2)

「みんな違う。みんな違って面白い」。
 いきなりだが、http://abukuma.us/takuki/12/031.htmlを紹介しよう。たくきよしみつ氏は私の中学高校の後輩、本業はもの書きである。都会生活を卒業し、終の住処を求めて新潟県山古志村に移住、04年の中越地震で家が倒壊し、やむなく福島県川内村に移り、昨年3.11の東日本大震災に遭遇し、現在は日光市に移り住んでいる。昨年、福島県人としての視点で書いた『裸のフクシマ』が講談社から出版されたから、読んだ人もいるだろうし、大晦日深夜、郡山市のスタジオから放送されたテレビ朝日『朝まで生テレビ』にもパネリストとして出演していたから、見た人もいるだろう。
 彼のブログを読んで私が先ず思い浮かべたのは、昨年3月18日に片品に避難してきた南相馬の人たち1000人の"今"である。川内村は阿武隈にあり、津波の被害はなかったものの、福島原発からはどちらも同じような距離にあるから、南相馬市にも川内村の"今"と近からずと言えど遠からぬ"今"があるのでは、と想像するが、事故を起こした原発の北にあって、浪江町や飯館村に近い南相馬市の方が、西南西に位置する川内村より放射線量が高いことが想像されるから、あるいは、川内村より過酷な"今"があるのかもしれない、とも思う。
 彼のブログからは川内村の人たちの"今"が見えてくるが、2月4日付けの当ブログで触れた「視点オピニオン21」からは、私が知りたい南相馬の人たちの"今"は、残念ながら見えてこない。昨年9月末には、ほとんどの人たちが南相馬に帰ったし、片品むらんてぃあも解散し、その代表だった彼女のブログでは、むらんてぃあの幾人かが南相馬に行き、顔なじみになった人たちとの再会を果たしたとあったから、被災者受け入れが今は交流に形を変え、彼女たちにとって被災者支援は終わった問題になっているようである。しかし、「みんな違う(1)」に杉山弘一氏から寄せられたコメント(2/5、13:12)で紹介された一橋大学大学院准教授、猪飼周平氏の論を読めば、まだまだ終わっていない"今"があることが分かる。

 話を福島から片品に戻して、たくき氏のブログの終章の一部を引用させてもらい、( )内に私の考えを重ねてみると、こうなる。
 「福島(片品村)で今起きている本当のことを、日本中(村中)の人に知ってほしい。この国(村)は、こういう手口(補助金)で我々(村民)を手懐けてきたのだということを。そして、その手口に使われた金は、我々(村民)が仕事をして、なけなしの稼ぎから納めた税金であり・・・」。
 その片品村について、前出の「視点オピニオン21」の最後には、こうある。
 「この村では普段から困っている人を助けたり、どんな人でも自然と受け入れてくれる、元気をくれる不思議な力があるのだ。半年の経験を経て私はますます村が好きになった。そしてこれからの村での暮らしがますます楽しみになった」。
 視点も考え方も、みんな違う。みんな違って面白い。しかし、ただ面白がっている場合じゃない。メディアは「東電と政府は事故の実態を隠している」の大合唱で、たくき氏が指摘していることこそ、メディアが隠していることなのだ。何かおかしくないか? (木暮溢世)

2012年2月17日 (金)

ところで、ねえ、村観課長の木下さん。

 古い話で申し訳ないんだけど、あの尾瀬国立公園誕生記念事業のひとつだった第2回尾瀬オゾンシアター、ね。あの運営にあたってむらづくり観光課職員が実動部隊として動いたでしょ。要するに、役場職員が職員としての勤務時間に、第2回尾瀬オゾンシアター実行委員会という村とは別の事業主体が実施した事業の業務に就いた件ね。しかも、その時間は役場職員としての業務をしていなかったにもかかわらず、村から職員としての報酬を受けていた、あの件。覚えているでしょ。覚えていなくても、前の村観課長から引き継いでいるはずだよね。あのとき、片品村情報公開・個人情報保護審査会は、その件に関する文書は存在しないから公開しない、という村の決定を妥当としたの。まあ、確かに、ない袖は振れないからね。
 でもね、本質的な誤りは、村が職員をその就業時間内に別の事業主体の業務に就かせ、その時間に職員としての業務をしなかった職員に、村の財源から法的根拠のない賃金の支払いをした、ということなのよ。ほら、どう考えたっておかしいでしょ。不当でしょ。この村の不当行為について、村の考えを聞いたんだけど、まだ答をもらってないの。もうそろそろ答えてくれてもいいんじゃないの。あんたの口癖のように「前向きの話」をしたいんだけど、しびれが切れて、足元はずぶずぶだし、もっと言えば、不当を不当と理解できない役場のノータリンたちの意識をそのままにして、前向きもへったくれもないでしょ。
 あの尾瀬オゾンシアターに関しては、この件以外にもいろいろあったおかしい点を「決して非を認めない片品村」に書いておいたから、復習のつもりででも読んでね。なにしろ、2回の公演に村と県が支給した補助金が230万。村の全世帯が1世帯あたり1300円の負担をしたことになるんだよ。主催した尾瀬の郷オゾンシアター実行委員会の代表は金造なんだから、これだけの負担を全世帯に負わせておいて、テメエの不当に頬被りはないでしょ。
「あの頃、私は担当じゃなかったから」なんて、いくら金造が上司だからって、言いなりになって金造のような低能なことは言わないでね。村の本当の主(あるじ)は村民だからね。分かってはいるだろうけど、それが民主主義だからね。忙しいだろうけど、明るく染めた長い髪の素敵な女性との高崎でのデート、せめて1回減らしてでも時間を作って考えて、早く答え頂戴、よろしく。

 ついでにもうひとつ、尾瀬ブランドの件で聞きたいの。最初2年とか言っていたのを継続にしたのはいいんだけど、あの詐欺師まがいの進士猛をいつまで尾瀬ブランド委員会の代表にしておくつもりなのかな。村の恥でしょ。詐欺師まがいって言う根拠は「そんなタケシに騙されて」、「這っても黒豆」、「黒豆が、遂に、飛んだ」あたりを読んでもらえば分かると思うけど、尾瀬和楽舎は星野千里が理事長になって、千里の所に転がり込んでいるのに住民票を高崎市において、千里と内縁関係にあることを県に隠したままの進士猛を監事にして、他に必要な頭数を揃えてNPO設立の申請をして承認を受け、「尾瀬を食いものにする奴ら」に書いた通りのことをやったんだから、詐欺師まがいと言われてもしょうがないでしょ。
 とりあえず世の流行りに倣って村はブランド認定をしたけど、反応もないんだから、まっ、どうでもいいかってところかな。ホームページにつまらない写真を並べるだけで、進士猛も村も宣伝方法を知らないんだから話題にもならないのは当たり前だけど、一生懸命考えて商品を作った人たちは気の毒だよね。
 あの尾瀬和楽舎、さすがに星野千里は都合が悪くなったとみえて名前をはずしたけど、次の理事長は千里がケータイひとつでリモコン操作できる操り人形だし、進士猛はまだ名前を連ねているし、幾人かの顔ぶれに出入りはあったけど、実態は胡散臭いままでしょ。新しい顔ぶれで俺が問題だと思うのは、あの組織の実態を知っているはずの金造の女房、千明すみ子が社員に加わったことだけど、あんたの上司に良識はあるのかね、ねえ、木下さん。それとも、それがこの村の良識ってことなのかな。
 答を頂戴ってお願いしながら、言葉遣いがぞんざいで、ゴメンね。(木暮溢世)

2012年2月 4日 (土)

みんな違う(1)

 「みんな違う。みんな違って面白い」。
 誰の言葉だったか俄には思い出せないが、本当にそう思う。2月1日付けの上毛新聞「視点オピニオン21」を読んで、この世の中、本当に面白い、という思いを改めて実感した。

 03年5月に片品に移住した翌04年夏、同新聞社から「視点オピニオン21」に書かないか、という声がかかり、興味津々、ふたつ返事でオファーを受けた。村の人たちにとって読むものだった新聞に、村に初めて書く側の人間が登場した。ひとりは登山家の宮崎勉さんと、引っ越して1年少々のグラフィックデザイナーという以外、村の人たちにとってはどこの馬の骨だか得体の知れない私。
 「何故?」。
 当時の村づくり観光課長がすっとんで来て尋ねた。
 「それは声をかけた上毛新聞に聞いてください。それより、村についてまだまだ知らないことだらけなので、いろいろ教えてください」。
 謙虚を旨とする(笑)私はそう答えた。このときのやりとりから私が感じ取ったのは、6、7本書くコラムで村を宣伝してくれるに違いない、という期待を込めた決めつけ。しかし、顔写真入り、実名で書くコラムを通して群馬全域で問われるのは私の視点である。いくら片品の自然を気に入って移住したとはいえ、「片品サイコー!みんなおいでよ!」なんて能天気なことは書けない。果たして2本目のコラムで、移住1年足らずの実体験から「私は県職員の見識を疑った」と書いた。
 「県が片品に目をかけてくれているときに、片品の人間が県を批判されては困ります」。
 早速、件の村観課長が抗議に来た。私は一個人であり、村の一住民である。言論の自由を憲法で保証された日本国民のひとりである。このとき私が感じ取ったのは、行政が個人の意見を統制しようとすることの不当を理解しない知性の欠除と課長の意識の中にある"お上意識"。もちろん私はこの抗議を突っぱねた。
 同じ2月の広報で、第3次総合計画策定への住民参加の呼びかけがあった。手を挙げた19人の住民の顔合わせも済まないうちの広報4月号で、埼玉にあるコンサル会社が予め作った「尾瀬の郷」構想が決定案として発表された。観光資源を浅間に、農産物をキャベツに替えれば、そのまま嬬恋村の総合計画として通用するような、どこを切っても金太郎飴と揶揄されているコンサル頼りの構想。住民参加の呼びかけは形ばかりのものだった。私は即座に当時の村長に質問状を書いた。住民投票で自主自立を決めた直後というのに、テメエの村の総合計画もテメエ等で作る意志も能力もないのか、とほとほと呆れ、「オピニオン」の格好のネタになる、と思ったが、さすがに一住民として県全域にそこまで村の恥をさらすことは憚られた。私の気遣いだったが、あの村観課長には絶対に理解できないだろう。
 7本のコラムに、見たこと、聞いたこと、経験したことを通して感じたことを、文字どおり村への意見提言として書いたが、ただ批判としか捉えない人も多かったようである。直接の反論はなかったが、間接的にいくつかの反発の声は聞いた。批判をただ批判として捉えるか、機会として捉えるかは志しにかかっている。ただ批判としか捉えられなかった人たちはそこをよく考えてみるといい。

 話を1日付けの「オピニオン」に戻そう。彼女の出身は横浜、私が出た中学高校の隣町である。もう50年近く前になるが、私が在学中、まだ横浜に市電(路面電車)が走っていた頃、横浜西区方面から通うクラスメートの多くが利用する7系統の終点であったそこは彼等の最寄りの停留所でもあった。大学卒業以来、片品移住までずっと東京で仕事をしてきたが、70年からの30年間を横浜に住んでいたこともあって、片品で彼女の存在を知ったときから、他県から移住してきた人たちに対するのとは少し違う思いで、主に彼女のブログを通して、村社会にとけ込もうと一生懸命の様子を見てきた。
 彼女の人生の倍の長さを生きてきた私とは、ほとんど全ての事象に対しての見え方、捉え方、考え方が違って当たり前である。この村で生きてゆく限りは、彼女のような姿勢でいる方がうまくゆくだろうことは分かるが、「個」が「集」より後回しにされる村社会は、私にとっては何ら意味のないものであり、感覚を50年も昔に戻すこともできない。それでも、私が「市民の目!沼田」に書いてきたものを読んで、「奴は正論を言っている」と捉えてくれる人たちが少なからずいることは心強い。願わくは、「ますますこの村が好きになった」と言う彼女が、この先30年経っておばあちゃんになって、孫が物心ついたとき「他所者」と呼ばれることがないように、と思う。

 8年前、東京時代の私の仕事を知った上毛新聞は、その人物が僻地片品に移住したことに興味を持って声をかけた。移住の翌年だったからあった話だったが、今だったら絶対にあり得ない。その上毛新聞が7年経って、同じ「オピニオン」に彼女に声をかけた。地方紙に共通した特性と言えばそれまでだが。
 片品に移住して以来、新聞はネットで読んでいる。子どもの頃からずっと家で採っていた流れで朝日を主に、毎読と東京は目についた記事を拾い読み、群馬の情報は上毛で仕入れる。ヤフーで見かける産経の記事にはしばしば苦笑する。ときどき目を通すNYタイムズと週毎に届くビレッジボイスのメールマガジンでは劣ろえてゆく語彙力を実感しながらも、短い間だったが、住んでいた昔が懐かしくなる。
 ひと口でメディアと言っても、それぞれに特性があって、みんな違う。みんな違って面白い。(木暮溢世)

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