「みんな違う。みんな違って面白い」。
誰の言葉だったか俄には思い出せないが、本当にそう思う。2月1日付けの上毛新聞「視点オピニオン21」を読んで、この世の中、本当に面白い、という思いを改めて実感した。
03年5月に片品に移住した翌04年夏、同新聞社から「視点オピニオン21」に書かないか、という声がかかり、興味津々、ふたつ返事でオファーを受けた。村の人たちにとって読むものだった新聞に、村に初めて書く側の人間が登場した。ひとりは登山家の宮崎勉さんと、引っ越して1年少々のグラフィックデザイナーという以外、村の人たちにとってはどこの馬の骨だか得体の知れない私。
「何故?」。
当時の村づくり観光課長がすっとんで来て尋ねた。
「それは声をかけた上毛新聞に聞いてください。それより、村についてまだまだ知らないことだらけなので、いろいろ教えてください」。
謙虚を旨とする(笑)私はそう答えた。このときのやりとりから私が感じ取ったのは、6、7本書くコラムで村を宣伝してくれるに違いない、という期待を込めた決めつけ。しかし、顔写真入り、実名で書くコラムを通して群馬全域で問われるのは私の視点である。いくら片品の自然を気に入って移住したとはいえ、「片品サイコー!みんなおいでよ!」なんて能天気なことは書けない。果たして2本目のコラムで、移住1年足らずの実体験から「私は県職員の見識を疑った」と書いた。
「県が片品に目をかけてくれているときに、片品の人間が県を批判されては困ります」。
早速、件の村観課長が抗議に来た。私は一個人であり、村の一住民である。言論の自由を憲法で保証された日本国民のひとりである。このとき私が感じ取ったのは、行政が個人の意見を統制しようとすることの不当を理解しない知性の欠除と課長の意識の中にある"お上意識"。もちろん私はこの抗議を突っぱねた。
同じ2月の広報で、第3次総合計画策定への住民参加の呼びかけがあった。手を挙げた19人の住民の顔合わせも済まないうちの広報4月号で、埼玉にあるコンサル会社が予め作った「尾瀬の郷」構想が決定案として発表された。観光資源を浅間に、農産物をキャベツに替えれば、そのまま嬬恋村の総合計画として通用するような、どこを切っても金太郎飴と揶揄されているコンサル頼りの構想。住民参加の呼びかけは形ばかりのものだった。私は即座に当時の村長に質問状を書いた。住民投票で自主自立を決めた直後というのに、テメエの村の総合計画もテメエ等で作る意志も能力もないのか、とほとほと呆れ、「オピニオン」の格好のネタになる、と思ったが、さすがに一住民として県全域にそこまで村の恥をさらすことは憚られた。私の気遣いだったが、あの村観課長には絶対に理解できないだろう。
7本のコラムに、見たこと、聞いたこと、経験したことを通して感じたことを、文字どおり村への意見提言として書いたが、ただ批判としか捉えない人も多かったようである。直接の反論はなかったが、間接的にいくつかの反発の声は聞いた。批判をただ批判として捉えるか、機会として捉えるかは志しにかかっている。ただ批判としか捉えられなかった人たちはそこをよく考えてみるといい。
話を1日付けの「オピニオン」に戻そう。彼女の出身は横浜、私が出た中学高校の隣町である。もう50年近く前になるが、私が在学中、まだ横浜に市電(路面電車)が走っていた頃、横浜西区方面から通うクラスメートの多くが利用する7系統の終点であったそこは彼等の最寄りの停留所でもあった。大学卒業以来、片品移住までずっと東京で仕事をしてきたが、70年からの30年間を横浜に住んでいたこともあって、片品で彼女の存在を知ったときから、他県から移住してきた人たちに対するのとは少し違う思いで、主に彼女のブログを通して、村社会にとけ込もうと一生懸命の様子を見てきた。
彼女の人生の倍の長さを生きてきた私とは、ほとんど全ての事象に対しての見え方、捉え方、考え方が違って当たり前である。この村で生きてゆく限りは、彼女のような姿勢でいる方がうまくゆくだろうことは分かるが、「個」が「集」より後回しにされる村社会は、私にとっては何ら意味のないものであり、感覚を50年も昔に戻すこともできない。それでも、私が「市民の目!沼田」に書いてきたものを読んで、「奴は正論を言っている」と捉えてくれる人たちが少なからずいることは心強い。願わくは、「ますますこの村が好きになった」と言う彼女が、この先30年経っておばあちゃんになって、孫が物心ついたとき「他所者」と呼ばれることがないように、と思う。
8年前、東京時代の私の仕事を知った上毛新聞は、その人物が僻地片品に移住したことに興味を持って声をかけた。移住の翌年だったからあった話だったが、今だったら絶対にあり得ない。その上毛新聞が7年経って、同じ「オピニオン」に彼女に声をかけた。地方紙に共通した特性と言えばそれまでだが。
片品に移住して以来、新聞はネットで読んでいる。子どもの頃からずっと家で採っていた流れで朝日を主に、毎読と東京は目についた記事を拾い読み、群馬の情報は上毛で仕入れる。ヤフーで見かける産経の記事にはしばしば苦笑する。ときどき目を通すNYタイムズと週毎に届くビレッジボイスのメールマガジンでは劣ろえてゆく語彙力を実感しながらも、短い間だったが、住んでいた昔が懐かしくなる。
ひと口でメディアと言っても、それぞれに特性があって、みんな違う。みんな違って面白い。(木暮溢世)
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